2011年01月19日

明暦の大火~振袖火事~ 江戸都市伝説

明暦三年(1657年)1月18日
江戸本郷丸山町の本妙寺から出火し
江戸の町をほとんどを焼き尽くした明暦の大火(メイレキのタイカ)がありました。

明暦の大火~振袖火事~ 江戸都市伝説
出典/『新編千代田区史 通史編』

若くして亡くなった娘の供養のために、その振袖を燃やした火が
お寺に飛び火したのが原因という事で「振袖火事」とも呼ばれています。

この明暦の火災による被害は延焼面積・死者共に江戸時代最大で
天守閣を含む江戸城や多数の大名屋敷、市街地の大半を焼失
死者は諸説あるが3万から10万人と記録されている。歴史的大火である。

明暦の大火~振袖火事~ 江戸都市伝説
写真:ウィキペディアより

18日に出火した炎が鎮火に至るまでは2日間 20日午前8時に鎮火されるまでは
江戸の町を焼き尽くしたといわれています
まさに、350年前の今日は、明暦の大火の真っただ中。。。





というのが表向きの一つの話し(本妙寺失火説)
実はこの明暦の大火の裏には、真実を隠すためにわざと流した話しとも言われ
色々な都市伝説があるといわれています。



「本妙寺火元引き受け説」
本当の出火元は、本妙寺近くにあった老中の家から、とも言われています
老中からの火元となれば、当時の幕府の信用が落ちる事間違いなし
それを防ぐために「振袖火事」を作り、真実を隠すため話を流した説があります

老中(ろうじゅう):江戸幕府および藩の職名。征夷大将軍に直属して国政を統轄する常置の職


「幕府放火説」
都市改造をするために、幕府が故意的に放火した とも言われています
しかし、都市改造には住民の説得や立ち退きに対する補償などが大きな障壁となっていたので
幕府は大火を起こして江戸市街を焼け野原にしてしまえば
都市改造が一気にやれるようになると考えたのだという説がありました
実際に大火後の江戸では大規模な都市改造が行われています。。。



語られている歴史の話し。
一つの説にたくさんの都市伝説があるように
他の歴史にも本当は語られることのない事もたくさんあったと考えます


私たちが今まで学んできた歴史の裏には
決して公表してはいけないものも たくさんあったはずですね





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嘉数高台
嘉数高台(2011-02-01 18:30)


Posted by にきスケ at 10:22│Comments(1)歴史
この記事へのコメント
事件の裏にはたくさんの真実が隠されている・・・
いつの時代も同じですね・・・・
一つの情報に流されないように自分をきたえなければ・・・・
Posted by キャルキャル at 2011年01月19日 18:20
 
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